音楽

DPZ入選御礼、そしてキヨシローさんのこと

ひとつ前のエントリまで、3部作で書いていた記事
「水を使わず○○だけで練ったパンです」が、かのデイリーポータルZ内の大ネタ投稿コーナー「デイリー道場」にて入選頂戴仕りました。

ありがたき幸せ。

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忌野清志郎さんが亡くなって、もう半月ほど過ぎてしまった。

本当は私のmixi日記などにつらつら雑感を書きたく思っていたのだが、だいぶ時期を逸してしまったみたいだ。なのであまり見ているひとの少ないここにこっそり書こうと思う。

私は小学生の時分、いわゆるマセた、というか「コドモの文化」から早く脱却したくてたまらない部類の子供で、4年生くらいの頃からクラスの中でそういうグループが自然と出来始めたときにはその中心人物の1人だった。
まず手っ取り早く、「オトナっぽくてカッコよさげ」なものとして最初に手を出しやすかったのが音楽だった。当時で言うとナイアガラとか、オフコースとか、YMOなんかが聴けて、その良さがわかるというのがちょっとカッコよかったような気がする。

そういう仲間たちの中で「RCサクセションが好き」と言うのは、なんかちょっとさらに気分が良かったのだ。

小4の頃からラジオの深夜放送をこっそり聴くように(当然布団の中でイヤホンで)なり、その頃いろいろな番組でほんとうによく掛かっていたのが、RCの『スローバラード』だった。
子供心に清志郎さんの歌い方が面白い、というのもあったと思うのだが、なにしろメロディーが半端なくきれいだったので、1度聴いただけで大好きな曲になった。

とうぜん歌詞の真意などは小4のみぎりではわからなかったのだが、ただただ幸せな恋人同士の歌なんだということぐらいは理解できていたと思う。
ただ、そんな歌詞なのになんで聴いた後こんなもの悲しい気持ちになるんだろう、とは思った。イントロのピアノソロやメロディーラインは決して明るく楽しいそれではなかったし、清志郎さんの歌も、当然のように開放的で楽しそうなものじゃなかったのだ。
その感覚は、当時の自分がそれまで聴いてきた歌にはまるで無かったもので、それが麻薬みたいに強力に心に「きた」のだ。もう何回でも聴きたくなってしまうくらい。

今思うとその感覚はたしかにアタリだったのだな、と簡単にわかるのだが。

『スローバラード』の歌に登場する2人はとうぜん「若い2人」である。
若いということは、「まだ本当の幸せがなにかわかっていない」ということなのだ。
2人で手をつないで静かな夜を過ごしていて、悪い予感の欠片も何もなくても、その幸せに対する確信などもてないのが「若い2人」なのだ。

その「幸せすぎる自分が怖い」という感覚が、あのメロディーの切なさの根源だということを、とりあえず事情があって3歳の頃から音楽の教育を徹底的に受けてきた耳のいい私は匂いで感じ取っていたのかもしれない。
バッハやツェルニーみたいな、音楽理論をそのまま耳で聴くようなクラシックしか当時は学んではいなかったぶん、そんな過ぎ去った過去の甘酸っぱい感情を、音と言葉で繊細に表現することが許されるロックの世界、即ち清志郎さんの言葉とメロディーの世界にどっぷりハマったのだ。

当時の私はマセてはいたかもしれないが、一般的な早熟といわれる種類の子供ではなかった。よく言えば浮世離れしている、悪く言えば周りから「ズレて」いたのだ。
クラスの大半の子達が夢中になるアイドルや少女雑誌などにはめっぽう関心がなく、テレビもみんなと同じものは見ていなかったと思う。なにしろ小5にして当時のサブカルチャーを象徴する投稿雑誌『ビックリハウス』の愛読者だったのだから、推して知るべし、という感じだ。

たぶん、日ごろの立ち居振舞いや動作なんかもちょっと変だったのかもしれない。ある意味自意識過剰だったところもおおいにあったかもしれないとも思う。それは、今としては滅法反省するところだが。
でも、仲良くしていた同類の(笑)友人たちはそんな私のことを

「キヨシローみたいでカッコいいよ」

と、よく言ってくれたのだ。
そうか、私はキヨシローみたいなんだ。と思ったら、にわかに自分に自信が出てきた。嫌いだった自分のそういうところを、ちょっと好きになったのだ。

だから今に到るまで、忌野清志郎さんは私にとってはスーパースターだ。もし私にキヨシローという存在がいなかったら、ひたすら嫌いな自分を抑圧し続けながら今も生きていたかもしれない。

ああ、清志郎さんは死んでないな。
私がいまこうして生きてるんだから、死んでないんだな。
キヨシローは。

ある程度、清志郎さんの病状などは逐一追ってはいたからこうなることは想定内にあった、ということもあるかもしれないが、やっぱり涙も出ないのは悲しすぎるからだろうか。同世代の、そして癌と闘っている川村カオリさんがご自分の日記でこの訃報に触れ

「おいら 悲しくて 涙もでない」

と書かれていたのを見て、ああカオリちゃん、同じだ。私もその言葉しか出てこねえんだよ。と思った。

夏が来ちゃいますねえ。
夏フェスの季節がやってきちゃいます。

でもアタシのスーパースターはやってこないんだなあ。

朝顔でも育てようか。
スーパースターという名を付けて。

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